Biography

 

昔からのファンならばいまさらの話ではありますが、

一応…。

エース・フレーりー(本名ポール・ダニエル・フレーりー)は、1951年4月27日、アメリカ、ニューヨークのブロンクス区で出生。父カールは電気技師、母エスターは主婦。兄チャールズ、姉ナンシーがいる。

エースは家庭でも音楽に囲まれて育った。父、母、姉はピアノを弾き、父は教会のオルガン奏者でもあった。兄はクラッシックギターを弾く。エース自身は、アコースティックギターにはなじまず、13歳のクリスマスにエレクトリックギターを両親からプレゼントされ、ギターの練習に打ち込むようになる。影響を受けたミュージシャンとして、ジミ・ヘンドリックス、ピート・タウンゼント、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジなどを挙げている。

音楽以外のエースの関心事は美術で、さらにスター級の運動選手でもあった。他の学業については、やれば成績は取れるが決して熱心ではなく、2つの高校を退学している。バンド活動で稼ぐようになると、3つ目の高校も退学してしまうが、両親とガールフレンド(後の配偶者となるジーネット)の説得で復学し、卒業資格を得ている。

16歳のころに見たライブコンサートを機に、プロのミュージシャンになる決意をしたエースは、バンドを組み、演奏するようになる。当時常に複数のガールフレンドがいたエースは、バンドのメンバーに女の子を紹介すると、「おまえは、ほんとにエースだな」と言ってくる。それ以来普段から彼は「エース」と呼ばれるようになった。

 

KISSに加入する前、エースは、マイクロ・オーガニズム、エクスターミネーターズ、フォアローゼス、マフィン・ダイバーズ、キング・コング、ハニー、マジック・ピープル、ミレモといったバンドでプレイした。ミレモはRCAレコードと接触し、いくつかの曲をレコーディングしたが、リリースには至らなかった。

 


KISS加入後から脱退まで

どのバンドでも成果が上がらず、別のバンドを探していた時、Villege Voice誌に載ったギタリスト募集の記事を見て、エースはオーディションを受けに行った(赤とオレンジのスニーカーを片方ずつ履いて…という恰好であったことは有名な逸話である。彼なりのおしゃれであったとのこと)。そこで、ジーン、ポール、ピーターと共に「Deuce」を演奏し、のちにKISSと名乗るバンドへの加入が決定した。

初期のKISSはクラブでリハーサルと演奏を繰り返しながら、グループのイメージを作り上げていった。バンド名をKISSとすることに決まり、エースがロゴのデザインをした(仕上げをしたのはポール)。エースは当初はタクシードライバーのパートをしながら演奏をしていたが、1973年、マネージャーとなったビル・オーコインから週給75ドルを得ることになって、兼業をやめた。

1974年のKISSのデビューアルバム「KISS」では「Cold Gin」、セカンドアルバム「Hotter Than Hell」では「Parasite」「Strange Ways」といった曲をエースは作っているが、歌うことに自信の持てなかった彼は、ポールやジーンが勧めても、自らボーカルを取ることはなかった。

 

1975年ライブアルバム「ALIVE!」がヒット。エースの演奏は後の多くのギタリストに影響を与えた。1976年5月、ジーネットと結婚(1980年に娘モニークが誕生している)。1977年リリースの「Love Gun」に収録された「Shock Me」で、初めてリードボーカルをとった。エースはこの事態に緊張し、スタジオの明かりを暗くしてもらい、ビール瓶を抱いてあおむけになって歌ったという。また、この曲はフロリダ州レイクランドでのコンサート中に、感電したことをきっかけに作られた。以後、エースはボーカルにも自信を持って取り組むようになり、1977年リリースの「AliveⅡ」では、「Rocket Ride 」を歌った。1978年にはメンバー4人が同時にソロアルバムをリリースしたが、エースのアルバムからシングルカットされた「New York Groove」が、メンバーの中でも最もヒットした曲となった。

1979年リリースの「Dynasty」ではローリングストーンズのカバー曲「2000man」と、「Hard Times」、1980年リリースの「Unmasked」では、「Talk To Me」「Two Sides Of The Coin」「Torpedo Girl」というように、オリジナル曲を提供し、ボーカルを取るなど、メンバー内での存在感を増してきた。

 

 

その一方で、バンドの成功とともにメンバー内はしばしば、ビジネスライクで、酒とドラッグには関与しないジーンとポール対、パーティー好きのエースとピーターという図式で、意見の対立が起こるようになっていた。元来内向的でシャイなエースは、徐々に酒とドラッグの乱用にストレスのはけ口を求めるようになっていった。ツアー中にホテルの部屋を破壊したり、気まぐれにKISSのレコーディングに現れないということもあったという。

ソロアルバムの成功以後、エースはソロミュージシャンとして活動していくことを考え始めていた。1980年にピーターが脱退し、バンド内での自己主張はますます難しくなったうえに、続く1981年の「Music from "The Elder"」というコンセプトアルバムを作るというバンドの方針に賛成できず、加えてそのアルバムのプロデューサーであるボブ・エズリンに自分のギターソロをカットされるといったこともあった。1982年リリースの「Creatuers of the Night」のレコーディングの頃には既にエースはKISSを脱退することを決意しており、ジャケットの撮影や、ビデオ撮影には協力しているが、レコードの製作には関与していなかった。1983年5月には145キロの運転で、警察とカーチェイスをして事故を起こし、罰金600ドルと6か月の免許停止処分を受けた。同年8月にKISS正式脱退となる。

 

以下、工事中。少々お待ちください。